「はせ基弘」のプロフィール
議会活動・政策提言・議会のしくみ・写真集・コラム・ブログなどを掲載しています。できるだけわかりやすく行政用語を一般的な表現にして、情報を公開して参ります。
また、芦屋市内はこのページの写真のような車椅子などでゆっくり移動しておりますので、どうぞお気軽にお声をかけてください!
「はせ基弘」のプロフィール
1958年6月22日 (昭和33年) |
芦屋市呉川町生まれ! 以来・・・芦屋一筋の人生を歩む。 |
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1971年3月 (昭和46年) |
芦屋市立宮川小学校卒業。 | |
1974年3月 (昭和49年) |
芦屋市立精道中学校卒業。 | |
1977年3月 (昭和52年) |
私立報徳学園高校卒業。 | |
1981年3月 (昭和56年) |
大阪学院大学経済学部卒業。 | |
1981年4月 (昭和56年) |
株式会社大塚商会に入社。 | |
1982年4月 (昭和57年) |
大阪産業大学工学部へ編入学。 3年後、1988年3月同大学卒業 (学士入学制度)。 (株) 都市計画研究所 勤務を初め企画関係企業でビジネスを学んだ。 |
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1988年6月 (昭和63年) |
(株) エレクターマンソン (スウェーデン企業) に就職、 翌年プロダクトコーディネーター就任。 |
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1991年 (平成3年) |
第12回 (平成3年) 統一地方選で芦屋市議会議員に初当選、 副議長・議会運営委員会委員長・監査委員などを歴任。 |
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2003年5月 (平成15年) |
広告企画・輸入雑貨などを扱う (有) ウェイブプロデュースを設立する。 | |
2019年4月 (平成31年) |
統一地方選挙当選し7期目。 | |
2019年5月 (令和元年) |
兵庫県功労賞受賞 (自治功労)。 | |
2023年4月 (令和5年) |
統一地方選挙当選し8期目。 |
家族 | 妻・長女 (結婚後して只今、不在) 長男の4人家族。 | |
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座右の銘 | 命に過ぎたる宝なし。 | |
好きな言葉 | 苦しいという言葉だけはどんなことがあっても言わないでおこうじゃないか。(高杉晋作) | |
趣味 | 読書、旅行、映画鑑賞、スポーツ観戦、歴史研究。 |
私が車いすになった経緯
高校3年の時に、突然の病気に!
高校3年の5月に、私は突然 「ネフローゼ症候群」 という病気にかかりました。この病気は、尿にタンパクがたくさん出てしまうもので、そのために血液中にタンパクが減り、全身のアチコチのむくみ (浮腫み) が発生するやっかいな病気です。ひどい場合は肺や心臓にも水が溜まり、さまざまな合併症の危険もあり、やむなくその治療のため、特効薬だったステロイドホルモン剤を大量に投与することになりました。
新しい病が発覚!
その 「ネフローゼ症候群」 は、治療によって克服できましたが、当時大量に使った薬が、知らず知らずのうちに身体を蝕んでいたようです。大学に進み、社会人となり、その後一念発起して、生まれ育った芦屋のために平成3年に市議会議員に立候補、当選を果たしました。住みよさで知られる芦屋ですが、見えないところでは問題が山積、その解決に懸命に働く気持ちで活動を続けていた私に、予期せぬ試練が訪れました。平成7年、あの阪神淡路大震災の頃です。その復興に向けて全力を決意した私にとって、ステロイドが原因で足の自由が奪われてしまったのです。
そして、車いすでの活動。でも、あの頃の経験と皆さんからのサポートが、私に大きな力を与えてくれました。地元への感謝は尽きません。
両足以外はいたって元気!
平成15年7月に 「両大腿骨頭壊死」 で右股関節人工関節置換。平成17年1月に左膝関節の人工関節置換手術。同年9月、左股関節骨頭壊死により、骨頭回転骨切り手術。平成18年12月、事故により、左膝関節の全部を人口関節に置換。病名 「両大腿骨頭壊死・両大腿顆部壊死」 。国の難病 「突発性骨頭壊死」 に認定されている、関節が壊れる病気です。車椅子の生活は仕方がありません。両足が悪い他はいたって元気なのです。
まっすぐに向き合え、目線が低くなった分だけ、今まで見えなかった物が見えるようになりました。障がいを持つ方々の目線、小さな子供たちの目線、お年寄りの目線。車いすに乗っていると子どもの時代の芦屋に帰って景色が懐かしいことも。そして、みなさんの生活がより身近に感じられるようになりました。車椅子に乗っていると子供の目線に。景色が懐かしいことも。人の生活がより近くになるようになりました。
これからも愛する芦屋のために、ブレずに市民感覚でいたいと思っています。
市議会議員になったきっかけ
(株) エレクターマンソン (スウェーデン企業) プロダクトコーディネーターとして日本に先進国の福祉機器やノウハウを提供しました。日本の福祉の遅れを企業人として目のあたりにしたために、福祉先進国の 「助けが要る時は助けてください。それ以外の助けは不要です。」 の真の意味を日本に広めたかったのです。
市議会議員としてのモットー・信念
ブレずにまっすぐ、芦屋の未来に向かって!
ブレない!曲げない!初心忘れず!一筋に!
無所属でいる理由
私はどの政党にも属していません。完全な無所属です。国政は議員内閣制ですから、政党に属することにも意味はありますが、私は市議会議員です。市民の代表ですし、アクティブ市民派を名乗っています。
市議会は同じ市民に選ばれた市長 (大統領制と同じ) のチェック機関の意義もあります。ですから、市長与党や野党は基本的に存在することもなく、全議員がどちらかと言えば野党であり、是々非々でいいのです。それに政党政治は 「地方議会には似合いません」。 党利党略が優先されてしまえば、芦屋らしさが失われてしまいます。私は今後とも国政のための既成政党に所属することはありません。
市議会議員としての活動概要
ユニバーサルデザインのまちづくりは第5次総合計画の主要施策になる。 | ||
芦屋市高校学区を神戸第一学区に編入し、高校選択の道を広げた | ||
福祉関連の制度変更とバリアフリーとユニバーサルデザインを実現 | ||
南芦屋浜の街づくりの提案と実現 | ||
学校教育の施設整備と制度設計の変更 | ||
防災安全のための取り組み | ||
病院経営の合理化とその制度設計変更 |
市議会副議長 |
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監査委員 | ||
議会運営委員会 委員長 | ||
建設公営企業常任 委員長 | ||
都市計画審議会委員 | ||
環境審議会委員 | ||
市営住宅入居者 選考委員 | ||
環境審議会委員 |
地域活動
元 社団法人芦屋青年会議所 第26代理事長 (1998年度) |
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元 精道中学校同窓会 会長代理 | ||
現 芦屋市身体障害者福祉協会 顧問 | ||
現 芦屋浜自治連合会 相談役 | ||
現 宮川コミュニティースクール・スポーツクラブ21宮川 相談役 | ||
現 芦屋市サマーカーニバル実行委員会 顧問 |